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ゴッホの中の日本。日本人の中のゴッホ。

ゴッホの中の日本。日本人の中のゴッホ。

モネ、ルノワールと並んで繰り返し展覧会が開かれるゴッホです。私たち日本人の中に「ゴッホ」という画家のある種のイメージが出来上がってはいないだろうか?

あまりにも衝撃的な耳切り事件、精神の安定を失って自殺で短い生涯を閉じてしまう。残された多くの作品と弟テオへの手紙。聞きかじったゴッホのお話から勝手にゴッホ像が出来あがって、そのフィルター越しにゴッホの作品の前に立ってきたかもしれない。

札幌、東京と巡回して京都国立近代美術館で『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』が開催中です。そうして、やっぱりゴッホに人は集まっています。

『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 は、ファン・ゴッホと日本の関係に焦点を当てた展覧会で、展示作品もすべてそのテーマに関連する作品に限られています。ゴッホは日本美術とどのようにして出会い、影響を受け、吸収して作品としていったのか。第二部では、1920 年代の日本人のゴッホ巡礼を紹介し、日本人のゴッホ好きのルーツを探る展覧会になっています。

展示場最初に私たちを迎えてくれるのはゴッホの自画像です。ゴッホが繰り返し描いた自画像のうち

《画家としての自画像》 1887/88年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

は、この展覧会では唯一日本との関係が見いだされない作品です。が、ゴッホがパリに出て弟テオと暮らした(1886年2月から1888年2月)時期の最後期に描かれた作品です。手にするパレットには色の混ざらない明るい色の絵具が並んでいます。表情は、パリでの生活にちょっと疲れが出ているようです。

このころのパリは、印象派の画家が認知され始め、ロートレック、ピサロ、ベルナールなど新しいアートの動向がみられる頃だったそうです。当時のパリでも北斎はすでに有名な絵師でした。弟テオは画廊に勤め、パリの画廊や画家たちにも知り合いも多く、当時のART 動向もキャッチしていたでしょう。そんな弟を介してゴッホはパリで印象派や浮世絵版画と出会います。画商ビングの屋根裏部屋には1万点もの浮世絵があったらしく、ゴッホはそれを間近で手にして見ていたようです。弟テオには浮世絵を扱うように薦め

また自分でも浮世絵を買い求め、なじみのカフェ・ル・タンブランで浮世絵の展覧会を開きました。

《カフェ・ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ》1887年ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

は、その女主人を描いた作品です。右側の壁面に浮世絵らしきものが描かれています。

パリでは弟テオと一緒に暮らしていたので、この時期に自分の近況を手紙でテオに知らせる必要がなかったために手紙という形でゴッホの心情を知る手掛かりは残っていないそうです。

ゴッホは絵を描き始めてから10年で800点ほどの作品を残しており、パリに出てからの4年間にゴッホを代表する作品が描かれています。そうゴッホが精力的に活動した時期はたった4年しかなかったのです。

浮世絵の何がそれほどゴッホを惹きつけたのでしょう。色使い、構図、モチーフ、高い水平線、中央にある消失点、幕末日本に見られる透視図法などを自分の作品へ取り込み、ゴッホならではの画風へと昇華していきます。

ゴッホは三作の浮世絵を模写したといわれています。歌川広重の《亀戸梅屋舗》《大はしあたけの夕立》と

《花魁(渓斎英泉による)1887年ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

です。英泉のオリジナルとは花魁の向きが反対で、『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号(1886年5 月)の表紙に印刷された花魁像を模写したようです。この日本特集号で日本紹介文を書いたのが日本人画商林忠正です。私たちが見ても随分と大胆な花魁像です。周りに描かれた鶴や蛙などあちこちの浮世絵からモチーフを組み合わせ、色彩もゴッホの解釈で独自の作品と仕上げたようです。



ゴッホは、日本を夢見て南仏のアルルへ旅立ちます。日本で浮世絵師たちが工房仕事をしていたことをまねてか、この地に画家共同体を作ろうと夢見ますが、ご存知のようにやってきたのはゴーギャンだけでした。ゴッホは、アルルのどこに日本を見たのでしょう。2 月の雪の日にアルルについたゴッホは

《雪景色》1888年個人蔵

を描きました。オランダ生まれのゴッホには雪景色は決して珍らしいものではなかったでしょうに。季節が冬から春へ向かっていくにつれ、ゴッホの気持ちにも変化が起こり、色彩もどんどん明るくなり、消失点が中央に、水平線が高くなっています。

《寝室》1888年ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

はとても有名ですが、三作あるそうです。展示されているオランダ フィンセント・ファン・ゴッホ美術館所蔵の《寝室》とシカゴ美術館の所蔵作品(⇒)には 右隅上に天井が少し描かれています。

オルセー美術館所蔵の作品(⇒ )は、かつての松方コレクションで日本へ返却されなかった作品だそうです。

4階に展示中の森村泰昌さんが再現された《ゴッホの部屋》はこのオルセーの《寝室》作品を再現されているそうです。

《寝室》は、色彩で作られた面、急に奥までいく遠近法、写実を離れて立体感や遠近法を無視して描かれています。4階の森村さんの作品をみると、異様に大きなベットや窓などその“変”さが伝わります。※森村泰昌さんの作品は撮影OKです!

浮世絵委の大首絵をまねたかのように人物像の口を曲げてみたり、1つのテーマを繰り返し描いたのも浮世絵の影響だといわれています。

日本に関する本も読み、研究し、どんどん理想の日本像を自分の中で作り上げていき、強い思い込みの中で作品を描いていきますが、幸せな理想を描いた生活は、かの耳切リ事件で崩壊してしまいます。1889年5月にはサン・レミの精神療養所にはいります。この間わずか1年たらずです。しかし、彼の代表作ともいわれる作品の多くがこの時期に描かれています。翌5月にはオーヴェール=シュル=オワーズへ移り、ポール=フェルディナン・ガシェが主治医となり、最期を看取ります。ゴッホが書き残したものから研究者の方が作品を読み解いていくと、日本への憧憬と浮世絵などの影響は至る所に見る事が出来るようでした。

私が勝手に作り上げていたゴッホのイメージとは違って、「日本とゴッホ」という視点から辿っていけばゴッホはとても研究熱心な画家でした。当時のパリにおける日本ブームをも伝えています。

ゴッホの死後20 年を経て文芸雑誌『白樺』にゴッホが紹介されます。やがてゴッホ終焉の地を日本の画家や文学者などが巡礼します。最後の主治医であったガシェの家にはゴッホの作品が残されており、ガシェ家にも日本人が来訪するため、「芳名録」が用意されるようになり、この地を訪れた日本人を知る手掛かりとなりました。この時代の日本人は旅行記をこまめに残し、ゴッホの死後のガシェ家の様子やそこで見聞きしたことを書き留め、今に伝わる重要な資料となっているそうです。この地を訪れた日本のフォーヴ運動を牽引した里見勝蔵や里見にこの地に住むモーリス・ド・ヴラマンクを紹介された佐伯祐三、国画創作協会の土田麦僊や小野竹喬などの作品が4階のコレクションギャラリーに展示中です。

里見勝蔵《渓谷の春》1924年


この巡礼から伝わったゴッホ像が、今も日本人のゴッホ好きの根幹をなしているのかもしれません。

精神が安定しない日々を送る若い晩年のゴッホは、もう「日本」という言葉を残さなくなりました。その頃に描かれた作品は紛れもなくゴッホではあるけれど、クリムトの風景画のようでもあり、誰の作品の中にいるのか。カラスも不吉な空もない、線一本一本を丁寧に引いた静かな世界が描かれていました。いつも必死で生きているように感じてしまうゴッホの作品は、明るい色彩で輝いていても何故か哀しさが残ります。それはあまりにも短い彼の生涯だけにあるのではないような気がします。ゴッホへの興味は尽きないままに。《ポプラ林の中の二人》1890年 シンシナティ美術館(メアリー・E・ジョンストン遺贈)





  • 【開催概要】
  • ・開催場所:京都国立近代美術館
  • ・HP:www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2017/423.html
  • ・会  期:2018年1月20日()~3 月4 ()
  • ・開催時間:9:30~17:00
    • ※会期中の金・土曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
  • ・休 館 日:月曜日(2/12を除く)、2月13日()
  • ・展覧会公式サイト:http://gogh-japan.jp
  • 【参考】
  • ・ゴッホに関する本はたくさんあり、ミュージアムショップにもたくさん並んでいます。
    • >日本人画商林忠正については、フィクションですが原田マハ著『たゆたえども沈まず』が お薦めらしいです。
  • ・アニメーション映画『ゴッホ最期の手紙』が公開中です。詳しくは⇒コチラから
  • ・『森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし』が出会うとき』@国立国際美術館 ブログは⇒コチラから
  • 『松方コレクション展-松方幸次郎夢の軌跡-』@神戸市立博物館 ブログは⇒コチラから

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ARTが好きなのか?美術館に行くのが好きなのかしら? 行きかけると拍車がかかって、前のめりになっている今日この頃かもしれません。 「知らない」「???」が増えるばかりです。
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MUSEUMコンシェルジュになりたいが、ARTには全くの素人。山間部育ち、専攻は「東洋史」、ただただ美術館へお出かけするのが大好きな私が、阪神間の美術展、アート関連施設やアートイベントなどについてアートへの思いを綴ります。つたない文章ですが、読んでくださる方々が、お出かけしてみようかなと思ってくださるきっかけになればと思っております。

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