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青春18きっぷの旅! 年末年始編

青春18きっぷの旅! 年末年始編

あけましておめでとうございます。

ここ数年、美術館博物館も12日から開館するところが多く、「博物館(美術館)に初詣で」と称し早々に美術館、博物館にお出かけになられた方も多いのではないでしょうか。

年末年始の忙しい時期にも、ふらふらと18切符の旅に出かけてきました。

新年明け早々に美術館が開館する代わりに、年末Xmas後は休館となるところが多く、会期が1224日までという展覧会が2つありました。



最初に出かけたのが、夏に奈良美智展に出かけた際に必ず来ようと前売りを買った『ジャコメッティ展』豊田市美術館です。異様に細く引き伸ばされた造形は一度見たら忘れられない作品、彫刻家として有名なジャコメッティですが、どのような作家だったのか?何故あの造形は生まれたのか?またモデルとなった日本人矢内原伊作とはどのような関係だったのか?ジャコメッティその人と作品を知る機会と楽しみにしていました。豊田市美術館は、名古屋からも1時間近くかかり、最寄りの豊田市駅からもバスもなく、徒歩です。しかも最後がかなり急な坂道になっています。多分、豊田市へみーんなが自動車でのアクセスと想定しているのでは?との呟きも聞こえてきそうです。美術館の2階からはTOYOTAの本社も眺められます。

展覧会は、初期から晩年まで彫刻だけでなく、絵画、版画、素描まで展示された大回顧展で、ほぼ時系列の展示となっていました。ガイドボランティアのギャラリーツアーに参加し、解説や参加者の方の感想も伺いながら展示場を回りました。アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)は、イタリア語圏スイス生まれで、スイス人だったのですね。ジャコメッティの原点は「見えるものは見えるように描く」という画家だった父親の言葉にあったようです。パリに移住して、終生モンパルナスの狭いアトリエで制作を続けました。お隣には、弟のディエゴのアトリエがあり、弟が鋳物職人であったことも重要なポイントだったことも今回知りました。つまり、ブロンズ作品を仕上げるのは弟だったからです。初期のジャコメッティは、時代の影響もうけアフリカやオセアニアのプリミティブな造形や矩形の塊の組み合わせによるキュビズム的彫刻を制作しています。ダリやプルトンに誘われシュルレアリズム運動に参加し、前衛芸術家としても注目されていたそうです。戦争中はスイスに滞在し、マッチ棒位の小さな作品を作り、パリへ戻るときにはそれらの作品をマッチ箱に入れて持ち帰ったといわれています。やがて作品は細く引き伸ばされた表現へ向かいます。《ヴェネツィアの女》背に西日を受けて立つ女性像9点がなんとも神々しく感じ、ちょっと阿弥陀三尊像のようでもありました。ジャコメティの作品に矢内原伊作をモデルにしたものがあることは知っていましたし、見た記憶もありました。矢内原とジャコメティがどのように知り合い、数少ないジャコメティのモデルとなったのかもこの展覧会で知ることとなりました。二人は外見も似ているように感じました。留学の帰国を延期してまでもモデルを務めた矢内原はジャコメッティと意気投合したのでしょう。日本でも生存中にジャコメッティ展は開催されていますが、来日はしたことがなかったようです。「ある距離をおいて認識した対象の正確なヴィジョンを表現する」という言葉は、彼の作品を説明していると感じました。名声や評価には全く興味がなく、「人物をいかに見える通りに表現するか」を追求し続けた20世紀を代表する彫刻家でした。今回も去りがたい展覧で、2017年ベストに入れました。会期末に出かけたために関連コレクション展が見られなかったことがとっても残念でした。

もう一つ会期末が迫っていたのが『アメリカへ渡った二人 国吉康雄と石垣栄太郎』@和歌山県立近代美術館です。国吉康雄は、画面が茶色っぽく深い何かを閉じ込めたような作品のイメージで、アメリカで活躍した画家としては有名なので、あちこちの美術館で観る機会はありましたが纏まって観たのは初めてでした。国吉康雄1889-1953)と石垣栄太郎(1893-1958)は、ともに移民としてアメリカへ渡ります。日露戦争後の財政難から移民が奨励されたという時代背景がありました。一方、アメリカでは黄色人種の脅威を叫ぶ「黄禍論」が起こり黄色人種排斥の機運高まる時期で、1908(明治41)年からは日本人の移民制限が始まった時期でもありました。渡米早々のスタートから厳しい状況でした。国吉は、コミュニケーションツールとして描いた絵から画家への道が開け、ニューヨークへ移住します。二人の出会いは、多くの画家を輩出した美術学校アート・スチューデンツ・リーグです。キャリアを積み上げる中で、パトロンとの出会いや結婚(キャサリン・シュミットは国吉との結婚によってアメリカの市民権を失ってしまいます。)2度の渡欧も経験し、開館したばかりのニューヨーク近代美術館で1929年に開催された「19人の現代アメリカ作家展」に選出され、アメリカ画壇での地位を獲得します。国吉は、1931(昭和5)年に一度だけ日本へ帰国しています。病気の父を見舞うためでした。国吉は、戦争へと突き進む日本に自分の居場所はないと感じ、この時の思いをその後のアメリカでの辛い時代も忘れることがなかったのでしょう。大恐慌後の不安な1930年代、国吉の描く物憂げな女性像は「ユニヴァーサル・ウーマン」と呼ばれて共感を呼んだそうです。1933(昭和8)年にはダウンタウン画廊と契約を結び、母校アート・スチューデンツ・リーグの教授に就任し、亡くなるまで20年間後進の指導にもあたりました。一方、石垣栄太郎は、社会主義運動に傾倒し、メッセージ性の強い作品を発表しています。ディエゴやオロスコなどメキシコ壁画運動の画家たちとも交流を深め、作品にその影響を強く感じました。社会で習ったニューディール政策ですが、美術家に対しても支援が向けられていたことを知りました。その一環として石垣はハーレム裁判所での壁画制作に携わりました。しかし、アメリカ国籍を持たない美術家は解雇されることとなり、完成した壁画も公開後非難が浴びせられ、撤去されてしまいます。失われたと思われていた壁画の一部が今回日本初公開されていました。太平洋戦争が始まると、国吉は「敵性外国人」として行動を制限され、強度の精神的緊張から鬱状態になっていました。そんな状態で描いた作品は憂鬱で、不安が漂っています。戦争が終結してもアメリカではマッカーシズムが吹き荒れる政情でした。1947(昭和22)年結成された美術家組合「アーティスツ・エクイティ・アソシエーション」の初代会長に国吉は就任し、翌1948(昭和23)年には『ルック』誌がアメリカの最も優れた美術家の10人の一人に選ばれ、ホイットニー美術館では初めてとなる現在作家の回顧展が開催されました。1952(昭和27)年第26回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表にも選ばれました。名実ともにアメリカの美術家となった国吉ですが、市民権は1952(昭和27)年の「移民帰化法」の議会通過でアジア系移民もアメリカ市民権を得ることが可能になった時には、死の床にあり、叶わぬままに亡くなってしまいました。

後に評論家となる田中綾子と結婚した石垣栄太郎ですが、戦争中のソ連の動向や日米の開戦で作品制作も失速していきます。戦後のレッドパージによって国外退去となり日本へ帰国します。長いアメリカ生活で日本には馴染めずままに、1958(昭和33)年逝去します。石垣の画業を埋もれさせたくないという妻の綾子の思いは、遺作展を開き、石垣の故郷に私財を投じて石垣記念館 を建設し、石垣や国吉の思い出を『国吉康雄―アメリカの大地に花開く』に綴りました。石垣綾子が石垣栄太郎の妻でなかったらこの展覧会も実現しなかったかもしれません。

時代に翻弄されながらも異国の地で画家として生き、美術家として社会的役割も果たした国吉康雄が見えてきました。和歌山県立近代美術館さん、丁寧に二人の画家を追ったとても良い展覧会でした。こちらも会期末ギリギリで版画が充実しているコレクション展が終わってしまっていたのが残念でした。#18切符の旅に訪れたい素敵な美術館です。お正月は、初詣でに出かけました。新快速で大阪から乗り換えなしで行ける敦賀の氣比神宮へ行ってきました。社域内の狛犬を巡ってみるとそれぞれに個性豊かでクスッとくるお顔もありました。湖西線周りで、車窓からは雪の比良山系と冬枯れの琵琶湖が見え、そこに架かる大きな虹をくぐりました。「虹がかかっています。」の車内アナウンスにもほっこりしました。最後の一枚は、年末の『ぶらぶら美術館博物館』で山田五郎さんのベストにランクインしていた『シャガール展 三次元の世界~キャンヴァスから飛び出す恋人や動物たち』@名古屋市美術館 昔はよく観たシャガールです。恋人のモチーフや幻想的で、色彩が鮮やかな作品に惹かれていたのでしょうか。シャガールの描くモチーフは生涯変わりません。それが二次元から三次元に変化してもでした。戦後アメリカからフランスへ戻ったシャガールは、パリではなく地中海に面する南フランスの小さな村へ移りました。その環境下で初めての彫刻作品を制作します。60代半ばのことだったそうです。表現手段は違っていても表現したいものは変わらなかったのかもしれません。

五郎さんは何故にベスト5にランクインさせたのだろうか?と思いつつ、シャガールの彫刻や陶器などの立体の展示が珍しかったからなのか?と思ったりしました。

こちらの美術館の常設展もお気に入りです。最初の部屋で塩田千春の糸の作品《行くべき場所、あるべきもの-ガラス》が目に飛び込んできておぉ!となりました。アンゼルム・キーファー《シベリアの女王》フランク・ステラ《説教》もインパクトありました。前回も観たメキシコ壁画運動のディエゴやオロスコの作品や北川民次は、石垣栄太郎とつながる思いがしました。シャガール展に合わせた特集『二次元・三次元』には李禹煥の大きな作品《風とともに》BBプラザで見逃したことが残念でならない辰野登恵子WORK86-P-12足が止まりました。常設の常設的な作品が撮影OKになるといいなと思いました。

時間があればお隣の科学館の巨大なプラネタリウムに入ってみたかった!

2018年も大きな特別展が目白押しの様です。さぁ、お正月気分も一新して、新たな出会いに出かけるとしましょう。

  • 【参考】
  • 豊田市美術館HPhttp://www.museum.toyota.aichi.jp/
  • ・ジャコメッティ展>画・テキスト:植田工「早わかりシリーズ♪~ジャコメッティ編~
  • 和歌山県立近代美術館HPwww.momaw.jp/
  • ・石垣綾子著『国吉康雄-アメリカの大地に開く』1983年 ドメス出版
  • ・公益財団法人福武教育文化振興財団>国吉康雄A to Z
  • 名古屋市美術館HPwww.art-museum.city.nagoya.jp/

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ARTが好きなのか?美術館に行くのが好きなのかしら? 行きかけると拍車がかかって、前のめりになっている今日この頃かもしれません。 「知らない」「???」が増えるばかりです。
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この記事を書いているのは
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MUSEUMコンシェルジュになりたいが、ARTには全くの素人。山間部育ち、専攻は「東洋史」、ただただ美術館へお出かけするのが大好きな私が、阪神間の美術展、アート関連施設やアートイベントなどについてアートへの思いを綴ります。つたない文章ですが、読んでくださる方々が、お出かけしてみようかなと思ってくださるきっかけになればと思っております。

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