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注目し始められた日本画家 生誕140年 木島櫻谷

注目し始められた日本画家 生誕140年 木島櫻谷

先の京都国立近代美術館で開催中の岡本神草に続き、京都画壇の日本画家 木島櫻谷(「このしまおうこく」と読みます)が日曜美術館で取り上げられ、井浦新さんが訪れられたこともあって秋の京都で静かな話題となり、「ぐるっと木島櫻谷3館共通チケット」で巡られた方も多いのではないでしょうか。残念ながらこのブログが掲載される頃には泉屋博古館での展覧会と木島櫻谷旧邸特別公開は終了しています。

鹿ケ谷にある泉屋博古館さんも好きな美術館で企画展の度にお出かけします。紅葉の永観堂や哲学の道にも近いが、秋や春にお出かけしてもそれほど混んでおらず、心休まる美術館です。アンケートに回答すると次の展覧会のご案内が届き、これほど話題になっているとは知らずにいつもの様に伺いました。受付からちょっといつもと様子が違っていました。素敵な美術館だし、穴場的な空間でなくなるのは時間の問題だとは思っておりましたが、今回はそれだけではないらしい。2013年にも泉屋博古館で「木島櫻谷」展を開催されており、また住友家のコレクション展でも見た覚えはありましたが、はてさてどんな作品を観たのだったか。「木島櫻谷」は、動物画で著名だそうですが、動物というよりも「かりくら」の下絵のようなものを見た記憶があしました。

泉屋博古館では『生誕140年記念 木島櫻谷 近代動物画の冒険』と題して《かりくら》修復完成お披露目と動物画中心の展覧会となっていました。プロローグは「写生帖」、674冊が保存されているそうですが、一生分はもっと多かったはず。「写生」の櫻谷です。円山応挙からの京都画壇に伝わる写生の精神を受け継いでいます。京都市は明治36(1903)動物園 が開園しており、櫻谷が頻繁に写生に訪れるので動物園から贈呈された年間パスポート「優待観覧券」も展示されていました。デッサンの名手でどんな動物も自在に描ける人だったでしょう。

最初の作品から私は驚いてしましました。「えっ、櫻谷ってこんな日本画家だったの?」 《猛鷲図》若い櫻谷に櫻谷の生家のあった三条室町の友禅の老舗 千總の第12代西村總左衛門より内国勧業博覧会に出展する天鵞絨友禅壁掛用の下絵の注文があったようです。第5回内国勧業博覧会は天王寺で開かれており、住友さんの茶臼山の大邸宅の側、確か住友さんが大きく支援された博覧会でした。「動物画」は、勢いのある筆と繊細な筆の運びが同居し、墨の濃淡を使い分け、ほわっほわっの動物の毛と一本一本描かれた毛描き、吸い込まれるような深い眼差しの優しい動物の目と櫻谷の動物への思いが伝わります。

展示されていた作品の中でただ1《寒月》の狐の目だけが違っていました。櫻谷が冬の鞍馬貴船に滞在中に体験した光景を表わしたのだそうで、冴えわたる月光に冷気が漂っています。朝日新聞の記者だった夏目漱石が酷評した作品です。考えている馬坂本繁二郎の馬がお好みの漱石先生には下弦の月の下、凍てつくような冷気、霊気の中のこの狐の目つきがお気に召さなかったのかもしれません。

木島櫻谷は、当時の京の文化芸術の中心だった三条室町に明治10(1877)に商家に生まれます。

曽祖父の木島元常は、狩野派鶴沢探鯨門人 吉田元陳の弟子で、京都在住絵師の多くが参加した寛政期の内裏造営障壁画制作にも参加したそうです。この曾祖父元常は、近くの越後屋(三井)新兵衛の娘 ひさと結婚しています。

櫻谷の兄は、千總の海外貿易部門、西村貿易の責任者でだったそうで、ここにも千總との繋がりがありました。

そして、櫻谷の父周吉は、家業の商売(有職物商有職舎)を継ぎました。交友関係が広く、彼のもとには多くの知識人が集まったそうです。岸派の岸連山(岸派の岸駆の子 岸岱の弟子) に学んだ岸竹堂や先の千總の第12代西村總左衛門 とも友人でした。この千總の第12代西村總左衛門 は、鷹司家に仕える儒学者三国幽眠の息子で、西村家の養子に入った人でした。千總の第12代西村總左衛門 の父 儒学者三国幽眠 と今尾景年が友人だったそうです。そんな繋がりからか、画の上手だった櫻谷は、16歳の時に今尾景年(1845-1924)に弟子入りします。

櫻谷は、本草学にも興味があったようで、儒学者であり本草学者である山本渓愚に師事し、渓愚の主宰する平安読書室でも勉強をしていました。

櫻谷旧邸には景年が描いた南禅寺法堂天井画の下絵が展示されていました。景年の弟子9人が手伝ったそうで、「瑞龍図」は下絵が4枚あり、1枚は南禅寺に 、1枚は今尾景年の旧宅である料亭瓢樹にあるそうで、櫻谷が景年より手渡された2枚が現在櫻谷文庫の所蔵となっています。

明治40(1907)に始まった日本初の公募展「文部省美術展覧会」(以下「文展」)に出品し、第1回日本画部門で1等賞は該当なしの2等賞となり、以後も連続入賞し「文展の寵児」とも言われるほどでした。

2年の修復を終えた《かりくら》は、明治43(1910)4回文展出品作品で3等に入り、翌明治43(1911)には東京の巽画会と羅馬万博美術博覧会にも展示された作品です。しかし、それ以降所在不明となっていたのが、数年前に櫻谷の旧邸の蔵の隅で竹竿に巻かれた状態で発見されたそうです。展示されたときは表装されていただろうにと私は思ってしまうのですが、発見されたときは裏打ちもなく損傷が激しくボロボロの状態だったそうです。大きすぎて買い手がなかったのでしょうか。泉屋博古館学芸員の実方さんも昔のモノクロの図録でしか見られたことがなく、これほどまでに大きく色彩豊かな絵であったことに驚かれたそうです。100年を経て我々の前に現れた《かりくら》は、それはそれは綺麗な状態でした。この修復を担当されたのは墨仙堂さんで、鳥獣戯画や曼殊院の黄不動の時の岡墨光堂さん同様にその修復技術に驚くばかりです。日本画家竹内浩一さんは、日曜美術館の中で武士が掛けている鹿の膝掛の艶がいいなぁとお話しされておりましたね。私は馬よりも芒と白い綿毛がとってもいいなぁと思ってしまいました。

京都画壇では巨匠竹内栖鳳の次世代の旗手と目されるほどで、櫻谷には注文も多く、作品も高く売れたそうです。3040代の櫻谷は、円山四条派の流れをくむ京都画壇の伝統絵画の構成美と装飾性、写実表現の融合を試み、気品ある洗練された画を描いていきます。京都へ居を移した浅井忠などから洋画の勉強もし、橋本雅邦に私淑していたそうです。色彩を豊かに顔料は驚くほど所蔵していたそうです。京都市立芸術大学准教授高林弘実先生は、「近代の日本画家たちは、新しい絵画を模索するなかで、それまで使われていなかった色材を積極的に取り入れたことが知られています。」とお話されています。日曜美術館でも《寒月》に群青の顔料を焼いて使っていたと説明されていました。

大正元(1912)京都市立美術工芸学校(現京都市立芸術大学)教授となり後進の指導にもあたります。 文展に《寒月》を出品した翌年大正232歳で、師景年の後を受けて文展の審査員ともなって、衣笠村2000坪の土地に家を建てます。和館、洋館、アトリエ、茶室などは回廊で結ばれていたようです。和館は櫻谷の突然の死の後も奥様がお住まいだったそうです。櫻谷が移り住んだ衣笠村の現町名は「北区等持院東町」、北野天満宮や金閣寺や堂本印象美術館も近い。櫻谷の転居後土田麦僊、山口華楊、村上華岳、堂本印象、小野竹喬、福田平八郎、などなど画家が多く移り住み「衣笠絵描き村」とも呼ばれるようになったそうです。洋画家黒田重太郎 や映画監督牧野省三(俳優津川雅彦の祖父)も近くに住むようになったそうです。

50を過ぎて櫻谷は画壇と距離を置くようになります。昭和8(1933) 56歳で 第14回帝展に出品した《峡中の秋》が官展への出品の最後でした。洋館の2階に展示されていました。幽谷の秋に霧が立ち上る風景で、とても静かないい画でした。晩年は文人画風の観念的表現が多くみられたと解説にありました。道楽がない櫻谷の愉しみはタバコと甘いものだったらしく、洋館の2階には蛙が描かれた煙草箱にエジプトタバコが、和室の仏間には虎屋の通箱がありました。櫻谷の画は高く売れていましたので、書画、漢籍、典籍、書籍などを1万点以上収蔵していたようです。

こどもがなかった櫻谷夫妻は、櫻谷の姉の子を養子に迎えます。孫娘嫁入りのために描いた梅の打掛が展示されていました。長く桐の箪笥にしまい込まれていてシミ一つもない清楚で美しい打掛でした。

ご案内下さる方が、一点撮りでなければ写真はOKとのことでした。和館2階には虎のデッサンがずらり、そして洋館の2階には《画三昧》第12回帝展出品作品です。世間を煩わしく思うところもあったでしょうか。多く語ることのなかった櫻谷は、この画三昧がその境地なのでしょう。

晩年は「狸の櫻谷」ともいわれ、衣笠村にひょっこり出てくるタヌキを愛情深く描いています。80畳の大画室の前にある太い唐楓は、昭和7年第13回帝展出品《角とぐ鹿》の鹿が可愛い目でこちらを見つめながら角を研いでいる木でした。

引きこもりがちな櫻谷を外に連れ出したところが、行方不明になり翌朝電車事故で亡くなっているのが発見されました。あまりにも悲しい最期です。急逝の翌年にすぐ「櫻谷文庫」が設立され、櫻谷の旧邸が残ることになりました。数年前にも「京の冬の旅」企画で公開されたそうですが、それほど訪れる人もなくだったと伺いました。

木島櫻谷旧邸を訪れて本当に良かったと思いました。泉屋博古館の作品だけからでは伝わらない櫻谷がここで暮らし、ここに座り、ここで画を描いていたとじわぁと温かく伝わりました。



木島櫻谷旧邸所蔵の画材類、下絵、素描、書籍などなどの研究はこれからとのことだそうですし、櫻谷は生涯1万点以上描いたのではないか?とも言われ、本画が見つかっていないものも多く、これを機に「うちの蔵にもあった!!」など世に出てくる作品もあるはずです。櫻谷展の今後展開が楽しみです。



【木島櫻谷関連情報】

・『木島櫻谷の世界 』@京都文化博物館 HPは⇒コチラから
・会期:20171028~1224() ※展示替12/11()
・休館日:月曜日
・開館時間:10001930(入室は1900まで)

日本画家 木島櫻谷旧邸 :公益財団法人 櫻谷文庫 HPhttp://oukokubunko.org/
・泉屋博古館 HPhttps://www.sen-oku.or.jp/
※泉屋博古館東京分館へ巡回 泉屋博古館東京分館HPhttps://www.sen-oku.or.jp/tokyo/
Part I 近代動物画の冒険 2018224日(土)~48日(日)
Part II 木島櫻谷の「四季連作屏風」+近代花鳥図屏風尽し 2018414日(土)~56日(日)


【参考】
・京都新聞アート&イベント情報サイト[ことしるべ]「今年の秋は櫻谷づくし!」
《かりくら》の修復と見どころについてわかりやすく書かれていました。

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ARTが好きなのか?美術館に行くのが好きなのかしら? 行きかけると拍車がかかって、前のめりになっている今日この頃かもしれません。 「知らない」「???」が増えるばかりです。
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MUSEUMコンシェルジュになりたいが、ARTには全くの素人。山間部育ち、専攻は「東洋史」、ただただ美術館へお出かけするのが大好きな私が、阪神間の美術展、アート関連施設やアートイベントなどについてアートへの思いを綴ります。つたない文章ですが、読んでくださる方々が、お出かけしてみようかなと思ってくださるきっかけになればと思っております。

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