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阪神モダニズム 白鶴美術館と旧乾邸見学 その② 旧乾邸

阪神モダニズム 白鶴美術館と旧乾邸見学 その② 旧乾邸

住吉、御影辺りは今も高級住宅街ですが、明治、大正、昭和の一時期多くの財界人が移り住んで大邸宅を構えました。大阪は商業地で、西宮や芦屋、神戸辺りから通勤するのが流行りだったようです。須磨や舞子辺りになると別邸でしょうかしら。最初にこの地に邸宅を構えたのは朝日新聞を創刊した村山龍平で、現在の香雪美術館です。

ここ住吉村は「長者村」とも呼ばれ、納税額も多く、この地に住む実業家がポン!と資金を出し独自のコミュニティを作り、文教地区として成長したようです。

乾家は代々兵庫で酒造業を営んでいましたが、日露戦争後海運業へも進出し、昭和8年に4代乾新治氏が乾汽船株式会社を設立しました。旧乾邸の着工は昭和10年頃竣工は昭和11(1936)とリーフレットに書かれています。設計は渡邉節、施工は竹中工務店です。渡邊節が設計した関西に現存するものは、大阪の日綿会館神戸旧居留地の商船三井ビルディング があります。乾家も4代目ともなると生まれ時からボンボンな風格となりでしょうか、「ハイカラ、モダンで教養と社交性に富んだ人物」と評され、日本屈指の名門ゴルフコース広野ゴルフ倶楽部創立時の発起人の一人で、クラブハウスの設計者が渡邉節、その縁から自邸の設計も渡邉節に依頼することになったのではと解説されています。渡邊節に教えを受けた中には、我々も知っている「村野藤吾」がいます。

1990年代中まで乾家の方がここにお住まいだったそうです。見学会開催の度に昔はここで遊ばせて頂いたとか、乾さんのお嬢さんと同級生で今はどうしておいででしょうかなど懐かしむ方も少なくないそうです。会社も東京へ本拠地を移しておられ、相続時に物納されました。日本各地でかつてのお屋敷が物納となり、そのまま維持できないものは残念ながら都会ならマンションへ、田舎なら更地へと移行している悲しい現実があります。(※料亭「はり半」も今やマンションとなってしまいました。)旧乾邸は、震災時に洋館と繋がっていた和館が全壊し、厳しい震災の時期を経て、神戸市が購入、修復して現在に至っています。現在このような形で公開し拝見できることに神戸市に感謝です。

大きな門から車寄せまで。この「車寄せ」似ていませんか?そう「ヨドコウ迎賓館」と。

住吉駅からかなりの山手で、昭和の初めは馬車で上がっていたとのお話も残り、壁泉は馬の水飲み場も兼ねていたのでしょうか。地上3階地下1階、お玄関が4つ、階段が3つあり、使用人、運転手と使い分けておられたようです。

お玄関入って、吹き抜けの玄関ホールに立つと重厚なチーク材による階段と高い窓がドーンと目に入ります。床のモザイクはゴム製だそうです。重厚なチーク材の階段とその木彫は、大山崎山荘美術館の内装を思い出します。今どきこんな重厚な材はお目にかかれないのではないかと。大山崎山荘美術館本館の完成は1932年で乾邸の着工の数年前です。

玄関ホールから豪華なゲストルームへ。お庭に面した高い窓、正面の暖炉、そこから2階へつながる映画のシーンのような階段。暖炉には子孫繁栄の吉祥文様「葡萄」がみられます。「葡萄」文様は、ご主人がお好みだったのか、玄関ホールの吹き抜けの天井にも見られました。この日は小磯良平の少女の素描のレプリカが飾られていました。

小磯良平は、神戸とは深いつながりのある画家で、当時の関西財界人とも繋がり、分かり易い小磯の作品は多くの邸宅に飾られていたでしょう。現在も六甲アイランドには神戸市立小磯記念美術館もあります。豪華すぎるほどの大きなシャンデリアは、2代目だそうです。高い窓は、池田の小林一三記念館「雅俗山荘」を思い出しました。同じころに竹中が建てたものでどこか時代的にも共通するところがあるのかもしれません。見学会当日は、こちらがカフェとなってこの豪華なゲストルームでお庭を眺めながらお茶が頂けるようになっていました。そうここが本当にカフェならどんなにか素敵なことでしょう。

広いゲストルームのお隣は食堂です。お部屋を広く見せる効果もあってか後ろの小配膳室との仕切りの前壁は鏡になっていました。庭に面しては張り出し窓(ベイ・ウインドー)となっていて、お部屋の内外でアクセントとなっています。各部屋にはブザーが付いていて使用人や運転手に手配が分かるようになっていました。

「食堂」の先は夫人室へと繋がっています。夫人室は和室で、このお部屋から眺めるお庭は日本庭園になっていました。本当によく考えられた造りになっています。

洋館と繋がって使用人が暮らす和館もあったようです。多い時は30人もの使用人がいたというお話でした。

2階は私的な生活空間です。衣裳部屋、今でいうならウォークインクローゼット?作り付けの箪笥がありました。震災の際も造りがかっちりしていてこの作り付けの箪笥はびくともしなかったそうです。廊下を挟んでお向かいが夫人寝室こちらにも作り付けのクローゼットがあり、扉の内側には大きな姿見が当時のままにありました。これも震災でも割れなかったのですね。お部屋には洗面台もあったようです。

バスルームを挟んで向こうに主人寝室があります。奥様とご主人様のお部屋はメインの廊下の内側の「中廊下」で繋がっています。

「主人寝室」からは1階のゲストルームが見下ろせますが、1階のゲストルームからは2階のこの部屋が見えない造りになっています。お部屋には作り付けの金庫もありました。

3階のサンルームへ。その階段の前には海運業を営んだ乾家らしく宮島を描いたタペストリーが飾られていました。「サンルーム」の天井は丸くくりぬかれ、内に七色の照明が当時からあったとの事です。六甲山麓南斜面に位置するここからは、神戸が一望でき乾汽船自社の船の航行も眺めることが出来たとか。なんとも優雅な時代です。階段上には汽船会社ならではのの模様のガラス窓ありました。

この邸宅はお家全体がセントラルヒーティングです。作り付け家具やセントラルヒーティングのシステムは聴竹居を思い出しました。こちらも竹中に勤めた藤井厚二の実験的住宅です。六甲の豊富な水系から水も湧き出ていたようですが、今は開館時だけ電力で流しているそうです。しかし流れていないと落ち葉がいっぱい詰まってしまうと伺いました。さもありなんと納得です。

重厚な作りにうっとり、階段の木彫と金工の曲線の装飾がとても印象に残った邸宅でした。ゆっくり住吉の山手から下りてくると香雪美術館の石塀の横に出てきました。

「神戸市指定有形文化財・指定名勝 旧乾邸 住居・庭園」は、春と秋に公開されているとの事です。神戸市の広報などに告知されているそうです。ご興味のある方は是非お出かけください。


【参考】
「旧乾邸 諸室の平面構成図 Copyright ©神戸市 は こちらから
※無断複製転載を禁ず。
「旧乾邸 諸室の平面構成図 」のリンクは神戸市さんへ許可を得て掲載しています。

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ARTが好きなのか?美術館に行くのが好きなのかしら? 行きかけると拍車がかかって、前のめりになっている今日この頃かもしれません。 「知らない」「???」が増えるばかりです。
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MUSEUMコンシェルジュになりたいが、ARTには全くの素人。山間部育ち、専攻は「東洋史」、ただただ美術館へお出かけするのが大好きな私が、阪神間の美術展、アート関連施設やアートイベントなどについてアートへの思いを綴ります。つたない文章ですが、読んでくださる方々が、お出かけしてみようかなと思ってくださるきっかけになればと思っております。

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