ある意味、衝撃。。。「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」

クロード・モネといえば〈睡蓮〉を思い浮かべる人は多いだろう。私もその一人だ。静かな青い世界。静かな池に睡蓮がぽかり、ぽかりと浮かんで、あたりは静寂に包まれている。印象派という言葉と相まって、美しく、優しく、もの静かな作風の画家だとおもっていた。

でも今回の「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」ではその印象が変わった。

この美術展ではモネが10 代後半で描いたカリカチュア(風刺画)や 30 代から 40 代の風景画も含まれ、モネの人生を、順を追って辿ることができる。
 1879年、彼は最愛の妻を亡くしているが、この年、フランスはかつてないほどの極寒の冬を迎えたという。同年に描かれた〈霧のヴェトゥイユ〉は、凍てつくような冬の寒さと画家の孤独と哀しみが心にしんしんと響いてくる。

そして、モネが晩年を過ごしたジヴェルニー。ここで彼は多く植物を植え、育て、ここで睡蓮というモチーフを見いだし、睡蓮と池を、水面のさざ波を、池に移る光と影を貪欲に描いていく。
「小舟」という作品は、小舟が水面に浮かんでゆらゆらと揺れる景色を切り取ったものだが、じっと見つめていると風のそよぎや水面の微かなゆらぎ、きらちらと光る水面の反射が実際に見えるように思えてしまう。一見静かな絵なのだが、その筆致を見ると躍動感に溢れ、一瞬ごとの動きを余すところなくその筆先に捉えたいという画家の強い思いが伝わってくる。

このあたりから、心の中に「あれ?」という違和感が少しずつ芽生えてきた。〈睡蓮〉のモネと、同じ人が描いたと思えないような微かな違和感。ダイナミックな躍動が、描いていた既存のイメージとどこかそぐわない。

それが決定的になったのが、最晩年の作品の部屋に入った時だった。

青の人と勝手に思い込んでいた色彩イメージがここでは見事に裏切られる。
赤、青、緑と原色に近い力強い絵具をキャンバスになぐりつけられたような絵が続々と目の前で展開する。
彼は庭に植えられたしだれ柳に強い執着を示すように、何枚も何枚も、しだれ柳をモチーフにして描いている。うねるような枝が苦しげに画面いっぱいに広がり、激しい筆致で絵具の厚みもどんどん増していく。見るほどに、おどろおどろしさと狂おしささえ感じる。

なんなんだ、これは?

何度も部屋を行き来して、作品を見つめる。

しばらくして彼の最晩年を記したパネルの前で、ようやく、少しだけ、わかったことがあった。

稀なる長寿のおかげでモネは自分の画家としての成功を自身で見ることができた。これは画家として幸せなことだったろう。しかし、同時に、長く生きるということは多くの愛する者たちを見送るということにもなる。
妻も友人達も、子どもたちも先に逝ってしまった。最晩年の彼は、広大な庭に囲まれて、孤独にさいなまれていたのではないかという。
 
この部屋にモネが死ぬまで使っていた眼鏡とパレットが展示されていた。彼は白内障の手術を受けたが、その後、青が強く見えてしまうという後遺症が残ったらしい。片方に色をのせたレンズの眼鏡は、そのガラスの奥にモネの瞳の存在を感じてしまうほど、リアリティがある。パレットには絵具が何色も絞り出され、今でもそのまま筆にのせて、生き生きとした色彩で描くことができそうだ。画家の体温が、今もまだそこに残っているように感じる。
執着、孤独、寂寥。どんな思いがこれらの絵を描かせたのだろう。
〈睡蓮〉でイメージしてきたモネは消えて、真新しいモネという作家が目の前に突然、現れた。そんな思いが胸のうちに満ちてくる。

「モネを観にいくんだ」という、ちょっとウキウキした気分で出かけたが、その思いを遥かに超える、凄みのある世界がここにはあった。

印象派の出発点となった〈印象、日の出〉は、照明の当て方も効果的で、オパールのような輝きは言葉にならないほど素晴らしかった。
その〈印象、日の出〉と入れ替わりに、門外不出といわれ、東京展にも出展されなかった名作〈テュイルリー公園〉が3/22から公開される。
 
モネ好きな人も、少ないとは思うけれどそうでない人も、ぜひ観に行ってほしい展覧会である。ここで最初にモネに出会う、そんな人がいたら、心から羨ましい。ほんとうのモネに一番近づける世界がここにはあるから。

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