やっぱり琳派はカッコいい! 【琳派 京を彩る】

なぜ、日本人はこんなに琳派が好きなんだろう。京都国立博物館は、琳派ファンが連日行列をなしているという。

華やかさ、モダンさ、洗練、粋。

いろいろ理由はあるけれど、なんというか個人的には、”潔さ”が好きだ。
音で表せば、ぱきっ、という感じ。

迷いのない大胆な画面構成、かと思えば、微細なディティールまでのこだわり。

それでも、全体に、ぱきっ、と、格好いい。

今回の展示で、どの作品が好きか?と問われば、光悦・宗達の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」も素晴らしいし、抱一の「八橋図屏風」もいい。光琳や乾山もやっぱり好きだ。

でも、やはり、宗達の『風神雷神』は、ほんとうにカッコいい。もう、パキパキ!である(笑)。

私が観た時は、宗達と光琳の『風神雷神』が、90℃の角度で並び立っていた。
この二つの作品を、並べ観て味わうとは、なんという贅沢。その幸福にまず酔いしれる。個々に観て、また、後ろに下がって、並べ見る、を、何度やっても見飽きない。



そして、何が違うんだろう?と、考える。

つまりは、動き、なのだ、とおもう。
動的なパワーが、宗達のそれには圧倒的に感じられる。

二人の神は、いまにも、飛び出してきそうな勢いがあり、雲もすぐにでも動き出しそうな気配に溢れ、頰に風さえも感じられそうな臨場感が半端ない。

力漲る、とは、まさにこの動き、この表情、この、ライブ感をいうのだろう。

対して、光琳のほうは、といえば、風神と雷神が、確かによく写されている。上手い。色彩はほぼパーフェクト、ではないか。

でも、でも、なにかがちがうのだ。

こちらの風神と雷神は、きれいに、すっきり、枠の中におさまっている感じで、ライブ感が少ないように思えるのだ。

動的パワーが、枠の四隅に留められてしまっているように感じるのだ。

学芸員さんに聞いてみると、なるほどと納得できた。光琳は、なんでも画面の中に、安定的にすっきり収めるのが好みだったという。

収まれば確かに落ち着く。しかし、安定した絵には、迫力が少しく欠けてしまう。

宗達は、四角い枠のその外までも、キャンバスとして使い切っているのだ。そこには不安定さが生まれる。が不安定さがゆえのパワーがたまらぬ魅力を生み出す。
枠にこだわらない闊達さ、が、実にじつに、ぱきっと、潔い。

宗達は謎の人物だという。そのプロフィールは、いまだ謎だ。画風通り、枠にはまらない自由闊達な人物だったのだろうか?
それとも意外にも、私生活はきっちり、細かい人だったのだろうか?

そんなこんなを考えつつ、もう一度、宗達の『風神雷神』を見つめる。
暗雲が立ち込め、風がうなり、雷がゴロゴロと近づいてくる。。。怖いモチーフなのに、なぜか底抜けの明るさを感じさせる。

ほんまに、ほんまに、ぱきっとしてる。
やっばりイイ!カッコ良すぎる!

宗達もきっと、絶対、シュッとして、ぱきっとして、それでいて、飄々とした、なんともカッコいい人だったに違いない!

謎めいてる男は、いつの時代も、カッコいいものである。

いよいよ。ラストウィーク、カッコ良すぎる風神と雷神に、もう一度、会いにいきたい。

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